第2回 生命数学

 第2回は生命数学です。米本昌平氏の淘汰時間、郡司ペギオ氏の現生計算、北野宏明氏のロバストネス(したたかさ)、茂木健一郎氏の偶有性、池上高志氏の意識構成論、前野隆司氏の受動意識、福岡伸一氏の動的平衡など、ゼロ年代は日本で数多くの生命理論が誕生しました。
 今回紹介する生命数学は、いままで不思議なほど構築されてこなかった生命に関するあらゆる数学を指します。日本独特の自然観と感性に基づく生命論が、世界で注目を集めようとしています。今回は主に確率的生命観について書きます。

生命数学の父、チューリング

 今年はチューリング生誕100周年です。チューリングといえば、チューリングマシンチューリングテストで有名ですが、もう1つの著名な功績が「チューリングパターン」です。
 シマウマの縞、ヒョウの斑点、ゼブラフィッシュの縞はなぜあんな模様なのか、大阪大の近藤滋氏が Nature誌に原理を観察し、シミュレーションした記事が話題となりました。単に活性化するものと抑制するものの濃度の違いが、あの幾何学的な模様を作り出しているというのです。そしてこの濃度変化は、模様だけではなく、活性と抑制(ONとOFF)に関する生体物質―遺伝子、神経伝達物質、ホルモンなどなど―の濃度変化にも適用できることがわかりつつあります。
 チューリングは、その2つの濃度に関する連立偏微分方程式を1952年に発表しましたが、やはり新しいものはすぐには理解されないようで、2年後に自殺してしまいます。ノーベル賞こそ取り損ねましたが、チューリング賞なる計算機業界で世界最高の栄誉を授けるイベントが創設されました。

猫の考えていること

 生命数学は熱力学にも変革をもたらします。統計力学とは「巨視的物体を構成している微視的な粒子のランダムな運動の平均的現象を扱う」学問ですが、巨視的物体とはいわゆる観測者、微視的粒子とは観測者の体内で流れる分子のことと読むと、量子統計力学が観測者自身の身体を含む物理学となります。
 ボルツマンの「H定理」は力学過程というよりは確率過程であるわけですが、確率を複素化した「複素確率」を導入することで、観測者が知りうる情報量についての学問へと物理学を書き換えることができます。観測者の身体を含めたエルゴード定理は、時空における身体内部の分子の時間平均と集合平均に関する収束を表します。
 シュレーディンガーの猫は、自分の置かれた環境〜この偏屈な箱に閉じ込められた猫自身の数奇な人生〜を悟り、生きるべきか死ぬべきか迷っています。猫は空気を読み、結論を出します。生命とは、そして人生とはなんて確率的なんだ、と。

エピジェネティクスの数理とパーソナルバイオロジー

 エピジェネティクスは次のように定式化できます。

 あるオスMとあるメスFで子Cが生まれる。子Cがもしnつ子でも同じ配列をもって生まれる。時間経過しM'とF'すなわちMとFのころと配列が変わっているとき生まれた子Dは、Cとはほとんど同じ配列をもちえない。nつ子C1, C2, C3...は時間経過するたびに変異を蓄積しそれぞれ自ずと異なった配列へと変わっていく。

 パーソナルバイオロジーの時代、時間経過とともに個体の配列が少しずつ変異するエピジェネティクスは、バイオインフォマティクスの主要テーマとなります。また、オーダーメイド医療へ向けた統計には複素確率に基づく「複素統計」を利用すべきです。まだ見ぬ未来の変異を見据えた統計学です。

 最後に、生命数学は特に日本で勃興します。望月敦史氏、浜野正浩氏、春名太一氏ら注目の若手研究者は、グラフ理論、π計算、圏論といった数学を駆使して徐々に生命数学を構築しつつあります。
 生命数学でブレークスルーを成し遂げたい方は、日本でホットスポットを探り当てることをお勧めします。